2011年3月15日火曜日

災害支援の初動の早さ

東北地方太平洋沖地震は三陸を中心に壊滅状態に
陥っています。

国や海外の災害支援を続行中だが、その現状は
行方不明者の発見と孤立者の救援のみのようです。

被災者や被災者でも果敢に人の為に役にたとうと
している人の支援にまで手が届いていないようです。

民間支援はまだ入れない

これは、国の連携システムが民間と共同して確立
されていない欠陥です。

私が所属している日本青年会議所では、13日夜に
民間団体初の物資支援を行いました。24時間
関東地区内で 70tの物資を集め、14日夜に福島の
拠点に向けて発射しました!

その様子は



















こんな感じですが、すべてここにいるのは青年会議所の有志たちです。
被災者にせめて食べ物や水、生活するためにたらないかもしれない
けど、物資を届けたいとの一心から集まった者たちです。

今、この人助けをデジタルツールを使い情報と行動力で
やってのけようとしているのです。

日本青年会議所のHPにもFacebookが作りこまれ、そこでリアルタイムに
現地との情報交換をしながら支援策を共有しています。

限られた一人の力ではなく、日本全国の力ある若者のパワーを使う
ためにも情報を活かして最善の作戦を実行していきます!

2011年3月11日金曜日

「ブランド」と「こだわり」そして「夢」

3月9日群馬県の沼田市川場村にいきました!
群馬の地酒「水芭蕉」の製造メーカー永井酒造さんにお邪魔し、
おいしいお酒とご馳走を頂きました。





工場は120年前の酒蔵の隣に近代的な工場を建設
社員さんが酒造りに取組むことで、日本酒を販売する
ことから「つくる」ことにこだわっているそうです




これは酒樽です。
イメージとはかけはなれてました



永井専務さんに試飲させて頂きました



これは、酒造りの神様を祭る神棚
毎年年初には社員さんと一緒に
地元の山で滝行もするそうです




これは2003年の日本酒です。
日本酒は寝かすとすっぱくなりますが、
これはまろやかでなんとも言えない味わい
深いものでした

日本酒もワインのブランドのように世界で
名前が通るようにしたい! とのことでした



 
これは日本酒のシャンパンです!
透明度がなんともワインのシャンパン
と同じでのどごしすっきり!
洋風の食事にもきっとあいます!


 

これは昔の酒蔵を改築してレストランに
しているようです。
囲炉裏で地元の野菜やお肉などを焼き、
日本酒をのみながら、満喫させて頂きました。
今は、レストランとしてではなく、この酒蔵さん
と取引をする方専用に接待として使っているとか。


どんどん飲んじゃう


こんな分厚いステーキがヴィンテージの日本酒に
すごくあうんです!
まるでワインとお肉をたべているようです



そんな最高なシチュエーションでは
顔もこんな感じになってしまいます!

とにかく最高の時間を過ごさせて頂きました!

日本酒は清酒にすれば市場では1500円程度
しかし、ワインと同じように、味とブランドにこだわれ
ば市場できっと数十万円で売れるようになるはず!

新たな視点、角度から自社の商品をみつめ、
イノベーションを繰り返し、新たな時代と市場に
向けて社員と一緒になり世界ブランドになることを夢みて
がんばっている群馬の日本酒メーカーさんでした!



2011年3月8日火曜日

夢の実現

夢や目標といった、人にはそれぞれの大きな山が立ちはだかる。
その山に向かえば失敗や挫折が待っているかもしれない。
しかし挫折や失敗があったとしても、挑戦している限り自分に
負けることはない。だがこの混沌とした世の中で、夢も希望
も持てなくなってしまった人が沢山いる。
その人達と共に、見えない大きな山に挑戦し成長していきたい。
それが「冒険の共有」である。










今、一番私が大好きな人です!

「できない壁を乗り越えて人に夢と勇気を与える男」

28歳の小さくても偉大な冒険家



















3月4日(金)太田市で講演して頂きました。

壮絶な自然との闘いの中感情をむき出しにして
危険な単独無酸素登頂で世界の8000m級の山
を制覇することにこだわる男


「ありがとう」「自分もがんばります」

栗城さんのことを知っている人は必ずこの言葉を言う。

栗城さんは
マッキンリーを単独登頂後、地球を感じながら登山をして
みたいと思い、6大陸の最高峰を単独で登り、ヒマラヤへ
の夢を抱き始める。しかしどの山も、頂から先の世界が
見えなかった。山を登っても、また山があるだけの世界。
帰国後、友人に山を通して学んだことを伝えようとするが、
その価値感や学びは誰にも理解してもらえなかった。
そして、就職もせずに山に向かうだけの日々だった。
転機が訪れたのは、2007年に初めてのヒマラヤ遠征である
チョ・オユー(8201m)の単独・無酸素登山に挑んだ時だった。
そこで初めてインターネットでの動画配信に出会う。
日々の冒険を伝えるだけではなく、日本から送られ
てくる沢山のメッセージ。
そこには昔の自分と同じように、夢が持てず元気のない
人からの沢山の声があった。.彼らからの「ありがとう」
という言葉を目にした時、見えないが多くの人々も自分と
同じように葛藤したり、挫折したり見えない山を登っている、
この人達と一緒に山を登ろうと思い、それが自分の冒険
の使命と悟った。
そして、初めて頂の先にある世界が見えた。山を通して、
自分の使命と出会えた瞬間だった。単独・無酸素での
8000m峰への挑戦は、他の登山家もできる。
でも、自分にしかできない冒険をしたい。
そしてプロ野球選手やサッカー選手が人々に夢や勇気
を与えるように、「冒険の共有」からヒマラヤの青い空
のような無限の可能性を伝え、どれだけの人に一歩
を越える勇気を与えられるか。
それが僕の冒険であり、すでに道なき道を行く果て
しない冒険は始まっている。

苦しいときは
「全ての苦しいことに感謝するんです!
感謝することで苦しみが感謝に変わり、乗り越える力
になることに気づきました。」

彼はそう言っていました

極限を知っている人だから心に響く言葉

講演会を聞いて、ご本人と話しをして、
屈託の無い純粋さ、感情をむき出しにしながら挑戦
し続ける姿

どれも、今の自分、今の日本人に本当に必要なことばかり

どこまでできるかわからない
だけど、自分ができる限りの力で
「人に夢と勇気を与えることができる人になりたい」

そう素直に感じた瞬間でした!